ぶれてない

故 岡崎律子さんの「life is lovely」を買いたくなったのは数週間前。
なんで突然そんな考えに至ったか、きっかけすら思い出せない。

いきなり数年前にお亡くなりになられた岡崎さんの事を思い出したことに自分でも戸惑った。
まだBUMP OF CHICKENも知らなかった頃、林原めぐみさんのラジオを聞きまくって録音テープを千切れるまで聴いていた。そんな番組に岡崎律子さんがゲスト出演されていたり、彼女の曲が使われることも多かった。それでもそのどれもが僕の琴線にはあまり触れなかった。


それからラジオを聞かなくなって随分経って兄貴からなんとなしに言われた。

「岡崎さん、死んだよ。」

悲しくなかったとは言わない。
だけど、恐ろしいほどに僕の日常にその言葉は溶け込んだ。

「あぁ、そうなんだ。」

すぐ信じれたわけではない。
とても可愛らしく笑い、自分の楽曲を語る岡崎さんの声しか僕の中には無いからだ。
だけど、信じられないとは言えない。
なぜなら、僕は彼女を『知』らなかったから。

数年後、僕は高校2年生を終えようとしていた。
前述のように、理由も無く岡崎さんのことを考えていた。
当時のテープは劣化とともに一本たりとも残ってはいない。
ネットで手当り次第に曲を調べて聞いてみた。

その中の一曲 『セレナーデ』を聞いて衝撃を受けた。
泣きそうになった。
そしてすぐに他の曲も聴きたいと思った。

すぐにamazonに行ったけどテスト中であることと金欠だったから躊躇して結局その場はやめた。
テスト中は登校中もずっとポータブルオーディオにネットで落とした彼女の歌を入れて聴いていた。

ある人が言う。「自分が死んだ後も後世に何かを残したい。それを見て私を思い出して頂きたい。」
岡崎さんもそんな風に思っていただろうか?
だけど、岡崎さん。
だったら僕は貴方にどうやって感謝を伝えればいいのですか?
この身を震わす気持ちを僕は伝えたくてたまりません。
だけど、
できないじゃないですか。


テストが終わり、数日が経った。
無愛想な配達人がamazonの薄いダンボールを持ってきた。
僕が渡した時代遅れの新渡戸稲造は2枚の野口英世と小銭になって返された。
ダンボールを破り中からCDを出した。薄いフィルムも丁寧にはがす。
CDラジカセに入れた。たいていPCに入れてiTunesを起動するけど、今日は違う。部屋中を音で埋めようと思った。


やさしい
やさしいうたばかりだ
過去形になんかしない
だって、終わっていないから


僕の暑苦しい想いを貴方はニコニコして聞いてくれるだろうか?
いや、そんなのどうでもいい

だって僕は救われたから
僕が聞いた唯一の岡崎さんが出演したラジオ、その中で彼女はこう語っていた。
「ヨーロッパでは男女問わず、色々な人が色々な素敵なものに『lovely』という形容をする。」

何年も前の言葉だけど今もその言葉が忘れられない
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